紀勢本線(2) |
昭和45(1970)年から昭和50(1975)年頃の紀勢本線。 目次 戻る 次へ |
昭和45(1970)年・3月 紀伊由良あたり(?) 複線区間の下り坂はさすがのSL列車もかなりとばしてくれました。 機関車は和歌山機関区のC57-56。C57は動輪が大きいので高速でも楽に走っているように見えます。 和歌山機関区のC57は和歌山線の客車列車と紀勢本線紀伊田辺以北の客車列車を牽引していました。 |
昭和47年10月.23日 下里 キハ81の特急「くろしお」 東北本線の特急「はつかり」用として登場したキハ81はこの頃すでにだいぶ鋼体疲労が進んでいたように思いました。 実はこの写真は信号待ちで止まっているところです。 |
昭和49(1974)年4月3日 滝原駅を通過するDF50-59牽引の貨物列車 紀勢本線東側の新宮〜多気間は長い間DF50の縄張りみたいなものでした。 |
昭和49(1974)年4月3日 尾鷲駅に停車中の急行「紀伊」 DF50-4 遅れている対向列車を待っているところ。 急行「紀伊」は、紀勢本線では唯一の寝台急行列車でした。 |
昭和43(1968)年8月 下里駅付近の太田川鉄橋。機関車は 紀伊田辺区のC58 1両目のピカピカの客車はペンキ塗りたての回送車。 |
撮影年不詳 大曽根浦駅で急行を退避する亀山行き普通列車。 機関車はDF50からDD51に変わっていますから、わりと「最近」です。8月です 航空写真 |
同じ列車の同じ窓からしばらく続きます。 まもなく尾鷲に到着するあたり。 この当時はまだまだ旧型客車全盛でしたが、その後50系客車が入ってきました。 |
船津駅? の場内信号。腕木信号機がまだ健在。 |
紀伊長島を出て荷坂峠へ向かう列車。DD51になってからは、かなりスピードがあがりました。 航空写真 それでも今の強力ディーゼルカーに比べるとはるかに遅いものでした。 |
周参見駅で停車中。この時の機関車はすでにEF58。 紀勢本線の西側は電化されてもしばらくはDC急行や旧客の列車が残っていました。 |
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